テスト   般若心経〜視覚による読経〜
小島 真理子

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小島
私は、般若心経という日本で一番多くの人に読まれているお経の視覚化という事を試みました。私は実家がお寺なので、小さい頃からお経を読むという事とすごい近い距離にあっていつの間にか耳から聞く音でお経を暗記して読めるようになっていたのですけど、いろんな人に対するお経というのが分かりにくい言葉で表現されていることに気が付いたのが最近でして、それを視覚化しようって事になったんですけど、そもそもお経というのは仏教が2500年前に悟りっていうのが開かれてから、1回中国に渡ったんですね、その時にもともとのサンスクリット語から漢語訳に、三蔵法師という人によってされたんですけど、その時に、サンスクリット語のニュアンスを漢字で当てはめられない文字がたくさん出てきて、そのいう場合にサンスクリット語の音で音写する、漢字の音で当字をするという事を三蔵法師という人がしたので、中国人にとっても分かりにくい漢字の文章になっているのですけど、それがそのままに本に伝わったので、日本人には全く理解が出来ないという状態に般若心経があるんですけど、その視覚化をしまして、こちらはそれが映像になっているものなんですけど、こちらには意味で聞くお経のリズムとビジュアルを一緒に時間の流れに沿って見ていくというビジュアルで、本も作ったんですけどこちらではお経の内容とビジュアルを同時に見ていくという構成にしました。今まで般若心経というお経がビジュアル化されてこなかった背景にはお経には個人個人によっていろんな解釈の仕方があって自分の例えば大事な人が亡くなった時にその人の事を思い浮かべてお経を読んでいる人や、自分の過去に犯してしまった事を見直すために読んでいる人やいろんな人がいるのだと思うんですけど、そういう個人個人の解釈の仕方が違うと思うので、ビジュアルを私が選ぶ時にイメージをとても狭くしてしまわない様に、出来るだけビジュアルを置く事によってその想像力が膨らむ様なビジュアルを選んで制作をしました。
 
和智
ビジュアルをなるべく幅を狭くしないようにというのがちゃんと伝わってきていて、宇宙の映像から苦しそうにしている人から笑っている顔からと、いろいろあってそれは、ちゃんと伝わってきました。
 
後藤
今、画像が広がりを持たすっていう普遍的な見えで作ろうとしてますよね。あなたの評価でもってね。それが私達にも伝わってきます。非常に良かったんじゃないんですかね。
 
荒川
私、まだちゃんと読んでいないので、いまだに般若心経の意味って良く分からないですけど、このビジュアルを見て音を聞いているだけストーリーが自分の中で出来てきてしまったのが、はたしてそれを読んだ時に一緒なのかどうか、さっきおっしゃていたみたいにたぶん違うと思うんですけど、そういう意味ですごく面白いなって思っています。
 
勝井
これを見ながら音を聞くっていうのがすごくいいですね。リズムにのって、こう読みながら行くんでしょ。結構体験するといいと思う。
 
新島
ちなみにお経はお父さんが読んでいます。
 
寺山
最後に彼女を言ったけど、試み自体がすごく面白いんだけど、結果として見えてくるのは、例えば死とか生とか生命とか永遠とか僕らが使う言葉中でも抽象度が高いと言うか非常に重要な言葉を分りやすくするために分りやすいイメージを置くべきなのか、それだと非常に紋切型の絵になってしまうので、新しいイメージを与えてあげるのかって言うのは作る人のスタンスによって随分変わるじゃない。今の説明だと一般化しようと、あまり個別的になり過ぎると良くないと言う判断されたと言う話だけど、作り手として考えた時すごく迷う所ですよね。逆に言うとすごく面白い、・・逆に言うとそういう制約をとぱらった所でやって見るというのも1つはあるかも知れないし、日本人だったらこれが分かるとか分からないとか、中国人だったら分かる分からないていう風にして、つまりこれ言葉とビジュアルの問題として考えた時とても・・・
 
新島
根源的な問題を・・・
 
寺山
そう、問いかけられているんですよね。考えさせられたっていうか。
 
勝井
個々にイメージ作り出すために、いろんな、これは1つ選んだんだけどバージョンがあるとね、もう少し違った見方も出てくるじゃないかな。その辺はトライは少しやってほしかったね。何バージョンもあるっていう方が面白いかなっていうのがちょっとあるんですけどね。どうゆう切り口でやるんでも問題ない訳だから。
 
新島
聖書だとね、わりとどこどこの章とかってずーっと決められててわりと同じイメージで来ているけど、それがなかったという所でね。視覚化って所に関しては今、寺さん言っているように、かなり根源的な所だなってゆう風には感じるね。
 
荒川
私がちょっと思ったのは、下の内容と上の絵がピッタリあっていると言うことよりも、上の絵は彼女の般若心経が流れているって言うことがすごく面白いと思ったんです。たぶん30代とか40代とか50代になったらまた絵の選び方が変わってくるんじゃないかなって、そういう意味で面白いなって、そういう所から広がりを感じたっていうか。
 
小島
解釈に仕方の根本的な部分は今の時代に生きている、今22才なんですけど、その年令でしか解釈の出来ない自分なりの事なんです。結構主観ではあるんですけど、たぶん私自身も10年後いろんな事を経験して、またこういうことをビジュアル化しようと思ったらたぶん違う形になって来ると思います。