テスト   「良寛」でうたう
出川 陽子

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出川
私は「良寛で歌う」と言う作品を作りました。今から約200年前に良寛という書道家がいたんですけど、彼の文字がとても魅力的で、私は彼の字の魅力を多くの人に伝えてたいって思ってこの作品を作りはじめました。彼の文字の魅力を伝えるために何をしたら良いかという所で彼の文字は、現代の世の中でも彼の文字の書を見て、この書を見ながらまた真似をして字を書いて字を楽しむと言う臨書という行為がなされていて、その行為を何か使えないかと思って、その臨書と言う行為を通して、作品を作る事にしました。その行為をするにあたって誰もが彼の書を楽しめる、扱えるようにフォント化して、そこからまたさらに出来ないかと思って、彼の書を和歌であったり短歌であるとか、昔の歌というものが多いのですけれども、現代の人が読んでみて楽しめるために、私は現代、誰もが知っているような演歌であったり童謡であるとか、歌をモチーフにして作品を作っていきました。歌を組んで、文字を組んで行くにあたって、彼の書の空間と言う物を理解しようと思って、彼の書を分析する所から始めました。まず彼の書があって、大きさであるとか、文字間であるとか、墨濃淡であるとかを記号化して、記号化した中に現在自分が作ったフォントにあてはめて、どうなるかという、空間感を導きだしてそれを何パターンかやって行く内に、だんだん彼の書の中の特徴であるとか空間のとらえ方を自分なりに理解して、それとこの作品を作って行くにあたって自分の空間感を入れたり、歌の強弱であるとか、サビの部分の強調であるとか、そう言う物を組み合わせる事で作っていきました。本は全部、演歌と童謡と平成のポップスと昭和の歌謡曲とカテゴリーを別けてそれぞれ、演歌は和紙を使って、全部文字だけで組んでいきました。童謡は全部ひらがなにして、切り絵と一緒に組み合わせて空間を作っていきました。昭和の歌謡曲は写真と一緒に構成して行く事で作っていきました。平成のポップス曲は、フォントにする事によって良寛の文字をカラーにする事が出来るという新しい一面が見えるって言うのがあったので、こういうのを入れつつ、ところどころに文字の色をつけた感じを間に入れながらやっていきました。
 
中野
個人的に凄く大好きな作品でとても気に入っていて、良寛の書って言うのをフォントにするって言う行為のさらにその上に今ある歌に置き換えたって言うのが、純粋に楽しめるっていうか、そう言う部分に持って行けたっていう所のにものすごくいい印象を感じたって事があって、一つ聞きたかったのが、レイアウトを多少変えていますよね。変化をつけていますよね。文字組と言うか。そういう所は何か基準と言うか、フォーマットとか言う物は何かあったんですか。
 
出川
フォーマットとか言う事はなくって、さっき話したように良寛の書を分析する事によってある種、法則と言うか、良寛の書の癖みたいのがあったのでそれを入れつつ、歌の強弱、歌の流れを大事にして、全部歌を聞きながら、歌いながら制作していったのですが、歌の個性とかに凄く左右されたところがありますね。
 
中野
自分なりの解釈でおいていった。
 
新島
良寛の書をフォントにしてただ打ち込んでいっても良寛の空間にならない。やっぱり一番苦労したのが、どういう良寛の文字の使い方の癖があるのであろうか、それをやる事によって出来た。あれがすごくもとになっている。
 
勝井
これに翻訳してあるの。
 
出川
こっちの歌は同じ歌なんですけど、当てはめる物によって見方が変わってくるって言う。
 
新島
良寛だけはね。全ての文字が収録されていて書をやる人は臨書出来るんですよ。その臨書って言うのが、良寛の書のさっき一番最初に話していたポイントで、それを彼女は、フォントにして臨書と言うよりは組むって言う所に重きを置いている。
 
勝井
良寛の博物館にね一昨年かな、書の空間の訳しかた、置き方とかにすごく特徴がある。ちょっとこれはなかなかこれは真似出来ない。簡単にはね。こうゆう形がいいのか、これをもう少し違った方法の提出の仕方があるかもわかんないね。今これ濃淡とそれから色の濃さと大きさともうちょっとなんか、スペースの問題とかね、例えば、文字2つくっつけて略す様な事があるんだよね。だからそう言う事をやるのがまた面白いんだ。そう言う面白さはこういう所には中々でにくいな。 こういうフォントを作るって言う意味ではしょうがないんだけど。癖のレイアウトっていうのを追求していくと出てくるかも。